石灰岩の切り石を使った特徴的な建築から「白い街」として知られるペルーのアレキパは、ミスティ火山の麓で誕生しました。この街はフランシスコ・ピサロにより1540年8月15日に建都されましたが、その歴史はプレヒスパニック期まで遡ります。今日ではペルーで2番目に人口の多い都市であり、アレキパ歴史地区はユネスコの世界遺産にも登録されています。そんなアレキパの街や歴史、伝統についてペルー貿易観光促進庁(Promperú)が次のように紹介しています。
ペルーの国家文化遺産となったアレキパの美食
ペルー文化省は2015年、この地域特有の料理や飲み物の品ぞろえが際立つ場所であり、かつ様々な社会階層の市民が交流する空間として、アレキパのピカンテリア(※アレキパ料理を出すレストランや食堂)を国家文化遺産に登録しました。ピカンテリアでは、ロコト・レジェーノやソルテリート、アドボ、エスクリバーノ、チュペ・デ・カマロネスなどが代表的な一品です。
アレキパのカーニバル
この祭りは、毎年2月の下旬から3月の上旬にかけて行われ、山車や水風船、グルメフェスティバル、パレードや伝統舞踊が催されます。中でも特筆に値するのが、祭りの名を冠したダンス「カルナバル・アレキペーニョ」。これは主に、パートナーを探している若い独身男性が踊る求愛のダンスです。
古い歴史を持つ建材「シジャール」
真っ白な火成岩を切り出した「シジャール(切り石)」は、建築素材として使われると建物にこの上ない輝きをもたらします。アレキパにはこの特異な切り石を使った教会や史跡、邸宅などがたくさんあり、今日ここが「白い街」と呼ばれる所以にもなっています。シジャールの歴史はインカ帝国以前に遡り、この地域のワリ文化の集落でもすでに建材として利用されていました。
アンデスのポエム「ヤラビ」
音楽と文学、スペインとアンデスを一度に。ヤラビ(※“ビ”にアクセント)とは、インカ独自の音楽「アラウィ」と、中世に生まれたスペインの吟遊詩人の詩の要素を融合させた、音楽と文学両方のジャンルを併せ持つもの。アレキパの詩人で、ペルー独立の先駆者でもあるマリアーノ・メルガルは、その優れた文学作品を通じてヤラビを一般に広めました。
チャピの谷の巡礼
聖母マリアを敬う月が始まる5月1日、アレキパのキリスト教徒は毎年この日になると、市街地から6km離れたポロバヤ地区にあるチャピの谷に向け巡礼に出かけます。輿に載せた聖母マリア像をチャピの谷の聖地まで運び、そこでは花火と共に聖母を讃えるミサが行われます。1868年と2001年に起きた大地震で2度にわたり大聖堂が倒壊する中、内部に祀られていたこの像は無事だったため、奇跡の聖母像として信仰されています。
(ソース: ペルー貿易観光促進庁/Promperú)