これまでこのシリーズでお会いしてきたペルーの日本人移住者たちは、かつて様々な苦労をしたもののそれを乗り越え、今は穏やかな日々を送っている方々ばかりだ。テロやハイパーインフレ、また個人の内なる葛藤を克服してきた彼らの言葉は重く、学ぶところが多い。
一方、今もなお静かに戦い続けている人がいる。鏑木玲子さん、71歳。リマ郊外の貧困地区カラバイヨで貧しい女性たちに手芸を教え、その作品を販売することで女性たちの生活向上を支援している日本人女性だ。以前日本のテレビ局が玲子さんの活動を取り上げたので、ご記憶の方もいるかもしれない。
私は2年前に「世界で活躍する国際派プロフェッショナル」というテーマで、彼女を取材した。57歳で単身来秘し、当地のNGOと連携しつつ、貧困地区に暮らす女性の生活支援を始めた玲子さん。人生の折り返し地点を過ぎてから新たな道へと進んだ彼女は、まさにこのシリーズに相応しい。
玲子さんの半生や、ペルーへ来たいきさつについてはネット上にいくつも公開されているので、ここでは割愛させて頂く。今回私が伝えたいのは、現在の玲子さんだ。
十数年にわたりボランティア活動を続ける玲子さんが、今なお「受け入れがたい社会がある」と感じてしまうリマの貧困地区。そこで女性たちやその家族を見守りつつ、玲子さんは見えない終着点を模索し続けている。
玲子さんがボランティアに通うリマ市北部のカラバイヨ区は、市内43区の中でも貧しいエリアだ。区を南北に貫く国道沿いは多少都市化が進んでいるものの、多くは開発から取り残され、未だ水道や電気などの基本インフラが整っていない地区もある。
そうした貧困地区に暮らすのは、かつてテロから逃れてきた農村出身者や、仕事を求めてリマにやって来た貧しい地方出身者たちだ。しかし大都会リマで彼らにまともな勤め口はほとんどなく、収入は常に不安定。中には就学のきっかけを失ったまま成人し、文盲になってしまった人もいる。
無知からくる男尊女卑意識は激しく、日常には暴力が蔓延している。玲子さん指導の下で作品作りに精を出す女性たちの中にも、複雑な家庭環境を持つ人が少なくない。妻の自立を快く思わぬ夫。「お前が稼ぐのだから、俺の金は俺が使う」と、生活費を入れなくなってしまった夫。日銭稼ぎ程度の労働でエネルギーを持て余しているからか、毎晩身体を求めてくる夫。
女性たちは避妊のため、区が貧困層に無料で提供するホルモン注射を打ち続ける。90日間持続する優れものだが、頭痛や吐き気、腹部の肥満という副作用もある。そこまで身体を張って避妊しているにも関わらず、なぜか妊娠してしまう女性が後を絶たない。曰く、「たった1日注射するのが遅れただけ」なのだが……。
夫のことだけでなく、子供たちの教育や進路についても悩みは尽きない。悲観的な地で育つためか、学ぶことの意味を見出せず、学校を辞めてしまう子供がいる。一方で、学習意欲はあるものの、金銭的な問題で進学を諦めたり、進路を変更しなければならない子供もいる。
突然家を飛び出した挙句、見つかった時にはすでに妊娠していたという14歳の娘もいる。貧困という負の連鎖を断ち切るのは、容易なことではない。玲子さんは次々と沸き起こるそれらの問題に耳を傾け、彼女たちに寄り添ってきた。
進学など金銭的な問題の場合は、これまで頂いた善意の寄付金や自身の持ち出しでなんとか解決してきた。しかし成功体験が薄く、過酷なその人生を「諦める」ことで乗り越えてきた彼女たちは、状況に流されることに慣れてしまっている。
どんなに夫婦喧嘩をしても、数日後にはまた一緒に住み始めるし、望まぬ妊娠を悲観しても、生まれてしまえば喜々として乳を含ませる。不幸への耐性が強い分、何かを犠牲にしてまでその先へ進もうとする意欲が、なかなか育たないのかもしれない。
女性たちに幸せになってもらいたいと願えば願うほど、その思考の違いに戸惑い、脱力する玲子さん。それでも「自分以外に誰がやるのか」と自らを奮い立たせ、カラバイヨに通い続けている。2年前の取材時には、「私もあと10年続けられるかどうか」と笑いながら話してくれた玲子さんだが、先日お会いした時は「この先2~3年は頑張れるでしょうが……」とトーンダウン気味だった。
終わりのない献身。ボランティアという茨の道を、玲子さんはたった1人で歩み続けている。
(終)
※この投稿は、海外在住メディア広場のコラム「地球はとっても丸い」に2016年4月20日付で掲載された記事を再構成したものです。文中の日時や登場人物等が現在とは異なる場合がありますのでご了承下さい。