愛娘が小学3年生になったころ、青木通子さんは油絵を習い始めた。子供に手がかからなくなったこともあるが、何よりも、自分の意識を家の外へ向けたいと思ったからだ。
料理人の夫は、人生常に全力疾走というタイプだった。明日のために今日休む、というようなことを一切しない。仕事熱心なのはいいが、商売柄毎日の酒量が半端ではなかった。とにかく飲む。とことん飲む。帰宅は夜明けをとうに過ぎてからで、家族そろっての朝食すらままならなかった。
いくら自重を願ってもその破天荒な行動が収まることはなく、夫の帰りをただひたすら待つ日々。「このままでは、自分が潰れてしまう」悩みぬいた通子さんは、すべての思いをぶつける先として、キャンバスを選んだのだった。
彼女に絵の手ほどきをしたのは、ペルー人女流画家マリアテレサ・スワーレスヴェルティスだった。古希をとうに過ぎたマリアテレサの穏やかな微笑みと真摯な態度に、通子さんは強く惹かれていった。
「本当に素敵なおばあちゃまでね。彼女のすべてと波長があいました。どんな質問にも誠心誠意答えてくれる。この方ともっとわかり合いたい、この方を失いたくないと思ったんです。そのために私は、何をどうすればいいのか考え抜きました」
それからというもの、通子さんは寝食を惜しんで勉強した。学ぶことが、師へ報いることになると考えたからだ。師から借りた美術書や宗教、哲学、倫理といった日本語でさえ難解な書物を、スペイン語辞書と格闘しながら必死に読んだ。
「それこそ1日6時間以上も読み続けましたよ。とにかく必死でした。語学習得?本気なら、余った時間なんかじゃダメ」この時、通子さん45歳。その驚異的な集中力は、現在の創作活動にもよく現れている。
絵を習って10年が過ぎたころ、通子さんは自分の世界を平面に投影することに物足りなさを感じ始めた。立体を触りたい、掴みたい。そんな欲求がムクムクと湧いてきたそうだ。子供のころから“石”に興味があったという通子さんは、石と戯れる手段として彫刻を選んだ。途中で木や鉄、銀も扱ったが、石が一番しっくりくるそうだ。
「絵を始めた時も、彫刻に移った時も、夫は何一つ文句を言いませんでした。『家の事は心配するな、やりたいことをやれ』ってね。そういう度量があるんです」その穏やかな口調に、夫婦の絆を感じる。
現在は週3日ほどアトリエに通い、創作活動に励む通子さん。彼女は仕上がりを最初から想像して制作するのではない。石と向き合う中で突然現れるひらめきの瞬間を逃さぬよう、心を研ぎ澄ませ、石の声に耳を傾けながら作業していくのだそうだ。
「石は一度切ったり穴を開けたりしたら戻せないし、どうなるか分からない。分からないところに自分を置くのはとても怖い。暗闇に入っていくような不安や恐怖があって……。それでも、前に進むことしかできないのです」
通子さんが筆をドリルに持ち替えてから、まもなく20年を迎える。以前は嫌いなものがそこにあるだけで気になったが、最近は最初から否定せず、どんなこともまずは受け入れてみようと思うようになったそうだ。
「私の多くの事を教えてくれたのは石でした」と、通子さんは言った。その時、さまざまな束縛から彼女を解放した石たちが、アトリエの隅から笑いかけたような気がした。
常に自分に課題を与え、納得するまで悩み、苦しむ。妥協を許さず、媚びを排し、ひたすら石と向き合う。その凛とした姿は妻でも母でもない。まぎれもなく、石彫家・青木通子そのものだった。
(終)
※この投稿は、海外在住メディア広場のコラム「地球はとっても丸い」に2015年7月17日付で掲載された記事を再構成したものです。文中の日時や登場人物等が現在とは異なる場合がありますのでご了承下さい。