「リマはねぇ、気候がいいでしょ。それに当時は物価も安かったしね。だからここに住むことにしたんですよ」とにこやかに語ってくれたのは、松村健さん(85歳)。遠洋マグロ漁船の通信士として働いていた健さんは、年に2~3回訪れるリマの穏やかな気候をいたく気に入っていたという。
1985年、55歳の定年と同時に単身渡秘。最初の数年は、日系人の下で日本からやってくる漁船員の通訳やアテンドをした。1990年に独立。旅行業や水産物の輸出など様々な仕事をこなす傍ら、週末はいろんなペーニャに通い続けたそうだ。
ペーニャとは、音楽と食事が楽しめるライブハウスのこと。ペルーでは音楽=踊りでもあるため、当然さまざまなダンスが披露される。プロと観客の隔てなく、思い思いに楽しめるのがペルーのペーニャなのだ。
若いころから社交ダンスを習い、コンクールへの出場経験もあるという健さんは、根っからのダンス好き。サルサやフォルクローレ音楽が始まると、真っ先にステージに上がって一晩中踊っていたそうだ。
陽気でダンスが大好きな「チニート(東洋人の愛称)」の存在が周囲に知れ渡るまで、そう時間はかからなかった。名だたる演奏家たちまでがチニート健に声をかけ、歌い、踊り、共に楽しんだ。それがすでに齢60を過ぎてからの話だというから、驚きを隠せない。
そんな彼が68歳の時に出会ったのが、ペルーの国民的舞踏「マリネラ」(※)だった。ペーニャで見たマリネラに一瞬で虜になった健さんは、ステージのダンサーにアンコールを依頼し、もう一度踊ってもらったほど。
彼を魅了したマリネラ、そのコンクールが次の1月に行われると聞くや否や、早速レッスンを開始。たった45日間の特訓で、全国から1000組以上のペアが集まる国内最大のコンクールに出場してしまったという話は、すでにマリネラ界の伝説となっている。
「踊りというのはね、美しいポーズの連続なんです」とは彼の名言だ。ステップを踏みながらポイントごとにピシッとポーズを決め、且つ流れを止めることなく次の動きへと移る。「最近は、ちょっと踊れるようになるとすぐ難しいステップを入れようとする。だけどね、基本ができてないと、軸がぶれてポーズが決まらないんですよ」
「マリネラはステップの技術を競うのではなく、男女の恋の駆け引き、その小粋さを表現する踊りなんです。でも最近の若い人は、どうもそれを分かってない」と辛口の意見もぴしり。そんな健さんの言葉に多くのペルー人ダンサーが耳を傾けるのは、彼がマリネラコンクールにおける世界でただ一人の外国人審査員というだけでなく、マリネラを心から愛する尊敬すべきダンサーであるからに他ならない。
「若いころからダンスをしていたから」「定年まで働いた金があったから」と思う人もいるかもしれない。しかし、健さんが移住した当時のペルーはテロの恐怖が国内全土に広まっており、彼自身も危険な目に幾度となくあったそうだ。
その後ペルーで再婚と離婚を経験、心臓に問題を抱え、今では左目がほとんど見えない。年齢のためか、時にはまったくやる気がでず、うつ状態になることもあるという。そんな状態にも関わらず、マリネラの音楽を聞いた途端、身体の奥から「踊りたい!」という衝動が湧き上がってくるのだそうだ。
マリネラに焦がれ、マリネラを愛し続ける、チニート健こと松村健さん。これからもたくさんの恋の物語を紡ぎ続けてほしい。
※マリネラ(Marinera):男女がペアとなって踊るペルーの国民的伝統舞踏。国の無形文化遺産にも登録されている。中でもペルー北海岸部で盛んなマリネラ・ノルテーニャは、その優雅で華やかなスタイルゆえに全国で人気がある。
※この投稿は、海外在住メディア広場のコラム「地球はとっても丸い」に2015年3月5日付で掲載された記事を再構成したものです。文中の日時や登場人物等が現在とは異なる場合がありますのでご了承下さい。