いいじゃん、座れば。

ペルーで暮らしていると、人に座席を譲ってもらう機会が少なからずある。私が中年女だからというのもあるが、もともとここはレディーファーストの国。バスで女性が立っていたら、カバジェロ(紳士)なペルー人たちは「セニョリータ、どうぞこの席にお座りなさい」とにこやかに席を譲る。あ、そういや最近、セニョリータと言われることはすっかりなくなったな。ま、それはそれで仕方なし。

一時帰国中のある日、新宿西口発の都営バスを利用した。始発だったこともあり、私はバスの後方座席に腰を落ち着けることができた。その後座席は大方埋まったが、中ほどにある一席ずつならんだ優先座席は空いたまま。途中で赤ちゃん連れの外国人夫婦が乗ってきて、その優先座席に前後して座ったところで車内は満席となった。

平日の日中とあって、乗車してくるのはほとんどが女性だ。それも現役世代というよりは、時間と経済的余裕のある年配の女性が多い。奥さんの後ろに座っていた男性は、優先されるべき人にその席を譲らねばと思ったのだろう、バス停から乗ってきたある年配の女性に目を向けた。しかしその女性はその視線に応えることなく、ずんずんと奥へ進んで私のすぐ横に立った。男性がまだ何か言いた気な顔でこちらに合図を送っているので、その女性に「あちらの男性が席を譲ろうとされてますよ」と声を掛けたら、その女性は彼に向かって「No! No!」と叫び、ついでに私を睨みつけて黙ってしまった。

その男性は年配の女性が乗ってくる度に腰を浮かせたが、その度に女性たちはみな彼の申し出を断った。あー、もう、なんで断るの?譲ってくれるっていうんだから、ありがたく座ればいいじゃん、座れたら楽じゃん、なんでみんなそう頑ななの?

何度も断られ続けたその男性は、もう譲ることをあきらめたようだ。その後でもっとお年を召した女性が乗車してきたが、そちらを見ることすらやめてしまった。若作りババァのくだらないプライドのために、本当に助けが必要な人へ善意が届かなくなる。これを老害と言わずして、何といおう。

時々「電車で席を譲られてショックだった」という書き込みを目にするが、何がショックなのか私には皆目見当がつかない。年寄りと思われたから?妊婦と間違えられたから?いいじゃん、そんなの、どうだって。単にその人がもうすぐ降りるからだったかもしれないし、「あれ?この人なんか疲れているのかな?」って心配してくれたのかもしれない。少なくとも30代から見れば50代は年寄りだし、20代から見れば40代だって十分オバサンだ。それとも何かい?あんたは座ったら死ぬのかい?膝の関節が痛くて、一度座ったら立ち上がるのが大変なのかい?だったら仕方がない。「ありがとう、でも膝が悪くて座れないの」と素直に断ればいい。他人の視線が何よりもコワイという特殊な国民が、勇気を絞って声をかけてるんだ。狭くてみっともないそのくそったれな了見で、勇気の芽を摘むなってんだ!

私だったら喜んで座るのになんでだろう。「ありがとう」って言うのって、そんなに嫌か?「あー、今日は座れてラッキーだったな~、ありがたかったな~」って思ったら、次は誰かに親切にしようと思うでしょう?義務とかマニュアルとか他人の目とか。そういうのって死ぬほどクダラナイから。ほんと、人と人との距離が縮まらない国だ。