10月14日(日)AB-ROAD海外ガイド記事に1000年前のミイラと対面!ナスカの巨大墓地「チャウチージャ」が掲載されました。
7月に日本から来てくれた友達と一緒にナスカへ。山形大学助教授・松本剛先生と一緒に回ったナスカ郊外の遺跡巡りは、それは面白い体験でした。ガイドブックにあるような表面的な事実だけでなく、その土地の気候風土を考慮しながらの話には本当に説得力があり、こちらもさまざまな想像と更なる疑問がむくむくと湧いてきます。
降雨量はほとんどないのに、湿度は意外と高いナスカ。日差しも強烈で、およそ人が暮らしやすい土地とは思えません。なのになぜナスカの人々はこんな環境に暮らし続けたのでしょう?
もう10年以上昔になりますが、ナスカやその前身であるパラカス期の織物の修復を手掛けていた友達の「時代が平和で落ち着いていなければ、これほど精巧で手の込んだ美しい織物を織ることはできないだろう」という言葉が今も忘れられません。また一説によると「かつてナスカにはワランゴ(ペルー北部ではアルガロボと呼ばれる)の森が広がっていたが、過剰な伐採により土壌浸食と砂漠化が進行、ナスカ文化の崩壊につながった」のだとか。2000年前のナスカは、森に囲まれた豊かな大地だったのでしょうか?その辺を剛先生にもっと突っ込んで聞けばよかったな~。
ナスカ文化終焉からワリにかけての時代に利用されたという「チャウチージャ墓地」。墓の主たちが見たナスカは、いったいどんな景色だったんでしょうね。考えれば考えるほど疑問がむくむく・・・ふふ、限がありません。