昨日外出する際にふと見たら、うちの門番くんが何やらニヤニヤとあるモノを眺めていた。残念なことにそれはエロ本ではなく、サッカーW杯出場選手のステッカーを貼るアルバムだった。私と目があうと彼は「セニョーラ、ほら、いいでしょう!」となぜか韓国のページを開いて見せてくれる。「いいねぇ、でも私、日本人だし」というと慌てて「日本もありますよ、ほら、一番後ろに!」。もうここで10年も働いているのに、まだ時々混乱するらしい。
そして昨夜はペルーvsアイスランドの試合だった。W杯の前哨戦って奴らしいが、本番じゃないから私は興味がない。が、例の如く上階のバカ男が雄叫びを上げまくっていたので、試合を見ずとも勝ったことが分かった。3 – 1。よかったね、バカ男。頼むから静かにしろ。
そして案の定、今朝の新聞配達が遅れた。試合の翌朝はいつも遅れるが、ここまでお約束だと尊敬の念さえ抱いてしまう。しかも夜中まで興奮が続くのだろう、負けた日より勝った翌朝のほうが遅れ幅が大きい。新聞屋に電話をすると「いや、渋滞で新聞の到着が遅れてるんです。もう少しお待ちを!」今日仕事に“遅刻”したペルー人は、通常の何割増し?
それから待つことしばし。まだ来ないかと窓の外を眺めたら、新聞屋が到着!だが新聞を鉄門の格子に挟んだまま、門番くんとステッカーのやり取りに夢中だ。おい、マジ、頼むよ、すでに遅れてるんじゃん。と思ったが、彼らのささやかな楽しみを邪魔するほど私も無粋ではない。あのやり取りが終わったら門番くんがすぐ持ってくるだろう。ついさっき「新聞来たらすぐ持ってきてね!」って頼んでおいたのだから・・・なのに来ないではないか!
外を見ると、新聞は格子に挟まったままだった。思わずカチンときて「新聞持ってきてよっ!」と叫んだら、「あ!気付かなかった!今持っていきます!」と。さっきそこで新聞屋としゃべっていたし、彼の机は門の正面。なぜ気付かないなんて芸当ができるのか?リマには誰一人として客の視線を拾えない役立たず従業員ばかりのレストランが少なくないが、まったくもってそれと同じだ。目が見えるのに見えない彼ら。どう教育したらこうなるのだろう。
南米とサッカーと貧困を絡めた感動エピソードは多いけれど、サッカーがあるからこの「中途半端な層の人たち」がいつまでもそこから這い上がれないって話もぜひ加えて頂きたい。最低月額給与しかないのに、ステッカー集めに精を出す門番くん。すでに配達が大幅に遅れているにも関わらず、知り合いとステッカーの話題で盛り上がる新聞屋。大好きなサッカーに夢中になると、彼らは仕事や約束を忘れてしまう。もともと社会的責任を負う必要のない人たちだから、大した問題にはならない。ただその間に彼らが失ったであろうチャンスは、決して少なくないと思うんだよね。
W杯出場が決まっただけで公共機関が休みになるような国だから推して知るべしだけど、まったくなぁ。「セニョーラはステッカー集めないんですか?もし同じのが2枚手に入ったら、みんなで交換しましょう」と嬉しそうな門番くん。ここから這い上がるのは難しそうだが、それで幸せなら何も言うまい。