元旦以外にこれといった正月行事のないペルー。バカンスに出かける人たちを除けば、街はすっかり通常運転だ。そう多くはないが、1日から営業する商店やキオスコもあった。こうしてみるとペルー人って働き者。普段はけちょんけちょんに書く私も、元旦の朝からゴミ回収に努める区の職員を見た時には、思わず手を合わせてしまった。
彼らに遅れつつ私も仕事開始。でも、某社編集部からのメールにあった「今の若者は “海外に行くべき理由” や “楽しみ方について知りたい” らしいので、一つよろしく」という一文が頭に残って、どうも筆(キーボード)が進まない。海外に行くべき理由って、自分が行きたい(見たい・知りたい・食べたい)以外に何があるのだろう。行けと言われて行けるほど、南米は近くはないよ。
未体験の国の見どころを知らないのは当然だし、それを伝えるのは私のような者の務めだと思う。でも日本人は“書いてある通り”に選択・行動する傾向にある。以前、ガイドブックに掲載されているレストランに日本人旅行者を連れて行った時も、彼らはその本に掲載された写真の料理を選択した。心を尽くして説明した後に、「でもよく分からないんで、とりあえずこの写真のを」と言われる悲しさと言ったら!
説明の有無に限らずこれが食べたい、もしくは本当に何の説明もないから消去法的にそれを選ぶなら仕方がないが、説明の中から自分の好みに合致したものを選ぶことができないのはどうしてだろう。そういう人たちに「○○だから海外に行くべき」などと、自分の価値観を押し付けていいのだろうか。楽しみ方は人それぞれなのに、「こうやって楽しみなさい」なんて言えるものか。
私はいつも原稿のどこかに「自分の視点」を差し込むようにしている。私の意見に同調してほしいのではなく、それを読んだ人が何かを感じたり、考えるきっかけにしてほしいからだ。「へぇ、そうなんだ。それは知らなかった。でも本当はこうじゃないの?」なんて思ってくれたら大成功!なんだけどなぁ。
あぁ、うだうだとスタートしてしまった。でも私のスタンスは変わらないし、変えられない。今年も好きなようにやるだけだ。これからもちょびっとずつ“毒”をしのばせていこう。自分で考えられない人は痺れさせてなんぼってことで(笑)