リマ州カニエテ郡にある南米最古の仏教寺院、慈恩寺。日系移民の心のふるさとであるその寺で、故・小西紀郎さんの法要がしめやかにに営まれた。発起人は元ペルー新報編集長にして、現曹洞宗僧侶の太田宏人さん。彼の呼びかけに、ご遺族を始めトシローさんに縁のある人たちが集まり、初盆参りと相成った。
8月22日(月)参加者11名を乗せたバスは、リマから一路カニエテへ。参加者は旧知の仲だったり初対面だったりとさまざまだが、みな“トシローさん繋がり”だ。車内では自己紹介がてら、それぞれがトシローさんとの出会いや懐かしいエピソードを披露。その度に「あぁ、トシローさんらしい」とみなが頷いた。
慈恩寺で太田さんと合流、心尽くしの読経を拝聴させて頂いた。生前、トシローさんはこの慈恩寺によく通っていたそうだ。いつも「今の俺があるのは、彼らのおかげ」とペルーや日系社会に感謝していたトシローさん。日系人の知り合いも多く、「歴史の本には紹介されない、日系人一人ひとりの人生をいつかまとめたい」と話していたという。慈恩寺の成り立ちやその後の歴史を説明してくれた太田さんが、「紀郎さんも『ここは“何宗の”じゃない、“日系人の”寺なんだ』って言ってました」と。今頃は天国で、日系人の知り合いたちと笑いながら酒を酌み交わしていることだろう。
Restaurante El Pilotoにてボリューム満点の昼食会。トシローさんの大親友である阪根博さんの音頭で乾杯!ビールにワイン、ピスコサワーが振舞われ、皆々がさらに饒舌に。美味しかったし、楽しかったな~。そして阪根さん、ご馳走様でした!空のボトルに後ろ髪を引かれつつ、一行は次の目的地であるカサ・ブランカ墓地へと出発。
小高い砂丘の斜面に造られたカサ・ブランカ墓地。その中心に据えられた、高さ7m超の無縁塔に手を合わせる。カニエテに入植した日本人移民たちの労働環境は苛烈を極め、疲労や栄養失調、マラリア等で多くの人が命を落とした。死者が多すぎて棺桶が間に合わなかったというのだから、その悲惨さは想像を絶する。この地獄から抜け出して、なんとか首都リマへ。そう願った脱走移民たちは、ただひたすら砂漠を歩き続けた。「途中で命を落とした人たちの遺体は、みな一様に頭がリマのほうを向いていたそうですよ」と太田さん。まさに行き倒れ。何度聞いても涙が出る。
法要の後、この地形をみた阪根さんが「すごいね、ここはたぶん1000年前のワルコ王国の遺跡だよ」と教えてくれた。今は単なる砂丘にしか見えないが、恐らくアドベ(日干しレンガ)製の神殿か砦があったのだろう。墓地入り口付近には、粗雑なアドベの壁も残っている。効率を求めたインカと違い、手作り感いっぱいの小さなアドベ。指の後がこれほどリアルに残っている遺跡は、他にないかもしれない。
「ここは土地が肥沃だから、どんどん開発が進んでしまってね。こうした遺跡はみんな破壊されてしまったんだよね」「1000年以上前のプレインカの人々が眠る土地にインカがやってきて、その上にまた(日本移民の前に苦力として連れて来られた)中国人や日本人の骨が埋まってるなんて、ほんと面白い場所だよね。数百年後にバカな考古学者がここを掘ったら、どんな判断をするだろうね」なんて笑い話も。阪根さんの話が聞けたのも、このツアーならではの特典だったなぁ。
帰りのバスは大宴会場状態。といっても、行きのバスからピスコを持ち込んでいた人がいたのだが。今回はトシローさんと共に歴史を歩んでこられた在秘30~40年という先輩方から、「若いころからいっつも食べさせてもらった」という若手まで幅広い人たちと同席させてもらい、トシローさんの人脈の広さとわけ隔てのなさに改めて感心。いやはや、すごい人だ。
法要が平日であったことと、座席の都合から広く参加を呼びかけることができなかったので、ここでざっとご報告。そして太田さん、よい機会を本当にありがとうございました。また来年もお待ちしております♪