12月1日から2週間、ペルーの首都リマでCOP20(国連気候変動枠組条約締約国会議 第20回会合)が開催されている。ペルーは海岸砂漠地帯、アンデス山岳地帯、そしてアマゾンという多様な自然環境に富む美しい国だが、気候変動に対してはとても脆弱だ。エル・ニーニョによる海水温上昇と降雨量の増加、氷河の融解、局地的な大雨や干ばつ、高地での極端な気温の低下。こうした問題を常に抱えているペルーでの開催は意義あることだと思う。思うが・・・
ここ数日は「気候変動」という単語がマスコミに頻繁に登場しているので、人々の周知も進んだことと思う。
しかし開催2週間前には、COP20について「知っている、聞いたことがある」と答えたペルー国民はたった8%。そのうち61 %は「一般的な環境問題に関するイベント」、19%は「市民の安全問題についての会議」と思っていたという。
COP20の意義や重要性と、一般市民の意識との乖離は大きい。排ガスによる大気汚染やゴミ処理問題など、山積する日々のトラブルにすらまともに取り組まない自国政府に対して、「温暖化対策も大切だけど、その前にやることあるでしょ」というのが本音なのではないだろうか。
例えば会場があるリマ市サンボルハ区では、週末ごとにエコを意識したマラソン大会が行われ、その度に交通規制が実施される。先週もマラソン大会が開催されたが、ランナーが渡りきる僅かな間すら待てぬドライバーたちが、抗議のクラクションを鳴らし続けた。騒音は温暖化と関係ない?でもイライラのせいか、窓からゴミをポイッとすてる輩までいたけど。そう言うのを見るにつけ、環境保護以前の問題だと思ってしまう。
今年はアンデスの雨が遅いそうだ。クスコの友人が「今年は雨が降らない。農業が心配だ」と言っていた。旅行者には朗報だが、今アンデスに雨が降らなければ、半年後には海岸部の水が枯渇する。
木を見て森を見ずではいけない。大局を見据えることは大切だ。しかし森を見るために足元の小さな芽を踏みつぶしたり、湿度を好む植物を無理やり日向に持って行っても意味がない。小さな命を守ることから教えなければ、1本の木すら育たない。
そもそもCOP20自体、先進国の尻拭いにしか思えないんだけど・・・それを言っちゃお終いか。