一度目のDNA解析により、このアンパト山の美少女がコルカ渓谷の出身ではないかという憶測は否定された。彼女のDNAにはパナマの民族との関連性が見られるが、未だ結論には至っていない。近々、アンデス高地や他の国内エリア住民とのDNAサンプル比較による結果が明らかにされるようだ。5月1日、UCSMの博物館では再び「フアニータ」の展示が始まる。
ホルヘ・トゥルポ・リバス筆
発見から18年、ついにあのミイラ「フアニータ」の出自が明らかになろうとしている。聖マリアカトリック大学(UCSM)は、遺伝子の類似性を比較するためにこの「アンパト山の美少女」とペルーアンデス高地に住むおよそ100人の住民からのDNAサンプルを比較した結果について、近々報告を受ける。
「フアニータ」を保存しているUCSMアンデス霊峰博物館のホセ・アントニオ・チャベス館長によると、この比較分析は現在米国のソレンソン研究所で行われているという。DNA解析により「フアニータ」の出自を確定するため、2007年にペルー南部プーノ州のチュクイートおよびリャベの住民から口腔細胞のサンプルを集めたことは記憶に新しい。
「ソレンソン研究所は世界中からの(DNA)分析依頼を扱っているため非常に忙しく、(フアニータのDNA解析には)時間がかかっている。しかし、もう間もなく結果が届くものと期待している。全世界レベルでも、ミイラのDNA解析においては「フアニータ」が先駆けであったことを思い出していただきたい」と館長は述べる。
– 当初の分析結果 –
発見翌年の1996年、DNA解析のため「フアニータ」は米国に運ばれ、19名の米国在住カイリョーマ(註: フアニータが発見された、ペルー南部アレキパ州の郡名)出身者に迎えられた。その機会に採取された彼らのDNAは、「フアニータ」のそれと比較分析された。
ジョーンズ・ホプキンス研究所による当時の分析結果は、「フアニータと(発見地周辺の)カイリョーマ住民には遺伝子的に何の関連もない」というものであった。同研究所はその後、ラテンアメリカ他民族のDNAデータベースとの比較も行った。
館長は、「分析の結果、パナマ共和国のンゴゲ族のサンプルとの間に明らかな類似性が見つかったが、(フアニータの出自がンゴゲ族とする)確証には至らなかった。確かな出自を科学的に立証するためには、より多くのサンプル調査が必要だった」と語る。この調査のため、ペルーの様々な民族からのDNAサンプル採取が計画されたが、ある悲劇的な事件により頓挫することとなる。
「われわれは(プロジェクトへの)支援をナショナル・ジオグラフィックにまで依頼していたのだが、911事件の発生で全てがダメになった。プーノ州の住民からのサンプル採取が精一杯だった」と、館長は話す。研究所は、911テロによる犠牲者数千人のDNA解析に手一杯だったのだ。
– いったい何のために –
チャベス館長は、フアニータの出自を知ることにより、例えばインカ時代の一端について語られている記録が確かなものかどうかが分ると述べ、「インカ皇帝の宣告により子供や若者が生贄に選ばれていたと言われている。ゆえに、フアニータが必ずしも(アンパト山)周辺地域の出身者である必要はないと思われる。彼女は他の場所から来たのではないだろうか」とコメントする。
さらに館長は、「非の打ちどころのない」子供たちがアプ(聖なるアンデスの神々)たちへの生贄として選ばれていた、「大いなる水」という意味のカパコチャ(の儀式)の慣習にも言及している。「これらの子供たちはある特別な家で育てられていた。インカ皇帝のみが、四年もしくは七年毎にこの儀式を行うことができた。(生贄の)子供たちはクスコの広場で歓迎を受け、インカ皇帝が子供たちの美しさ、若さ、健康、完全性を(その身に)取り入れるため、彼らを抱擁した。その瞬間、子供たちは(すでに)あの世へと旅立っていたのだ」という。
フアニータはアンパト山に並ぶサバンカヤ火山の噴火が原因で生贄にされ、その身体は550年の間氷に守られていた。館長は、「1990年に起きたサバンカヤ火山の新たな噴火が、アンパト山での(フアニータの)発見につながった。彼女の出自については未知数のままだが、それも間もなく判明すると期待している」と明言した。
– ミスティ火山のミイラたち –
聖マリアカトリック大学のアンデス霊峰博物館には、14体のミイラが保管されている。うち6体はミスティ火山で、3体はピチュピチュ山で、4体(フアニータを含む)はアンパト火山で、1体はサラサラ山でそれぞれ発見された。
「ミスティ火山で見つかったミイラについては、まだおおよその年齢も分っていない。(ミスティ火山には)二つの墓所があり、どうやら(ミイラは)二家族分あるようだ」と館長は言う。
同大学では、チャベス館長とヨハン・レインハード氏率いる調査により、1998年にミスティ火山で発見されたこれらのミイラと遺物を展示する計画を立てている。
「チャチャニ山では、盗掘のためダイナマイトまで使った無責任な輩がいて、残念なことに、確かにそこにあったアンデス霊峰の遺構を破壊し尽くしてしまったため、ミイラは一体も発見できていない」と館長は述べた。
(ソース: LaRepublica.pe)