ワンカヨから50kmほど北上(リマ方面)したJauja(ハウハ)へ。「ハウハ」の由来は様々だが、ケチュア語の「Hauca(ハウカ)=休養、ゆったりとした、平穏な」が変化したものでは、という説があるそうな。この日の午後、ハウハの郊外にある木彫り工房を訪れた。学校から帰ったばかりの彼がお父さんの作品を見せてくれた。「もっと他にはないの?」「今はこれだけ。お父さん、寝てるし…」
見ると、工房の庭先で木屑にまみれながら昼寝しているオジサンが。お父さん、まったくやる気なし。
ハウハというこの可愛らしい名前の町は、スペイン人侵略者フランシスコ・ピサロによって、ペルー初の首都が置かれた町。リマが最初じゃないんですよ~
1531年、ピサロがペルーにやってきた。1532年、カハマルカで皇帝アタワルパを捕らえ、1533年、アタワルパを処刑し、クスコ陥落。1534年4月25日、ペルー最初の首都をハウハに置き、その後、1535年1月18日、リマに首都を移した。
こうやって見ると、ピサロってなんて傑出した人物だったんだろうって思っちゃう。(もちろん彼のやった行いには否定的なんだけど。)世界有数の高度文明をもっていたあのインカ帝国を、たった4年で滅ぼしてしまったのね。
この日の朝9時過ぎにワンカヨを後にした私たち。本当はもっと早く出ようって言ってたんだけど、私が死んでたので遅らせてもらった。(前日の揚げ物の食べ過ぎです。)
ワンカヨからハウハまでタクシーで40~45分。私はまだ調子悪かったので、タクシーの後部座席でほぼ寝た状態。その間、友達がタクシー運転手からいろんな話を聞いてくれていた。
「ワンカヨとハウハは、仲が悪い」「ハウハの人間は閉鎖的で、ハウハ人同士しか結婚しない」「湖しか見るところがないのに、なんでハウハに行くんだ」
なんと、ハウハは周囲の街や村から嫌われているというのだ。すごく驚き。だって事前に調べた時は、「ハウハは風光明媚でとてもいいところ」という情報ばかりだったから。
一体どっちが本当?このタクシー運転手が、たまたまハウハの人と喧嘩して印象が悪いだけ?たった1人の言葉が、旅の印象を決めることがある。
ハウハの町に入った時の第一印象は、「ボロボロの田舎町」だった。ワンカヨの家はどんなに田舎でも、それなりにきれいだった。屋根もちゃんと瓦で葺いてたし、壁が崩れ落ちた廃墟のような家はほとんど見なかった。
「閉鎖的」という言葉が、耳に響く。「革新」「進歩」「変化」、こういう単語とは正反対の雰囲気。
ハウハの宿を決めていなかった私たちは、まず町の中心広場に行ってその辺りにあるであろう宿に泊まる予定にしていた。タクシー運転手が聞いてくれた宿は…「恐ろしい」の一言だった。見に行ってくれた友達が、「あれはとても泊まれるもんじゃない。」と。
それでも宿は必要だ。「町で一番いい宿は?」と聞いて訪ねた宿は、50ソルという値段にまったく見合わない内容。まだ調子の悪い私を気遣ってくれた友達夫婦が、まだましなほうの部屋を譲ってくれた。彼らの部屋は、風呂場は水浸しで最悪だったそうだ。すまん。ハウハ、大丈夫か?不安がよぎりながらも、とにかく午前中いっぱい寝かせてもらうことにした。