Museo Nacional de Sicán (国立シカン博物館)
ペルー北部海岸地域にモチェ文化が栄えたのが紀元前後から紀元後700年くらい。その後750年ごろ興ったのが、このシカン文化です。後のチムー文化に滅ぼされる1375年まで続いたとされます。
入り口にあった各文化の特徴を現した年表。とても分かりやすい。ちなみにモチェよりも昔の「Vicús(ビクス文化)」は、紀元前500年~紀元後300年に栄えたらしい。 いやはや、すごいね。
1991年、現・南イリノイ大学教授の島田泉氏が日本のTBSの協力によって3年越しで発掘調査したシカン遺跡。この図は「Huaca Loro(ワカ・ロロ)」(奥)と、その周りの様子を表したもの。
南北に伸びるプラットホームの付け根、赤い点が「Tumba Este(東の墓)」。ここの地下11mの地点から、数体の人骨と夥しい数の黄金が発見された。
ワカ・ロロ始め、すぺての建造物はこうしたアドベ(日干し煉瓦)でできている。職人グループごとにいろんなマークが。文字じゃなく顔とか書いてて可愛い。
そしてこれがその東の墓の全容!こんなにも複雑な層になってる墓って?そして、それを全て解明した調査隊にも脱帽。
胎児のような姿勢で埋葬されていた主。その前には出産シーンを表したという2人の女性の生贄も。特筆すべきはその主の首が切り落とされ、西を向くように置きなおされていたこと。その下に置かれていた手袋状のものも、西に向かって伸びていた。その手には黄金の杯が。まるで西に向かって乾杯しているような・・・こうしたことから島田教授は「この墓の西側に、重要な墓があるに違いない」と推測したのだそうだ。主の再生を願ってこうした埋葬方法を取ったのではと言われているが、それにしても首を切り落としてまで仮面を西に向けるとは。シカンにとって「西」という方角の持つ意味は何だったのだろう。
「西の主」が埋葬されていた「西の墓」。中央墓室には胡坐を組んだ主が埋葬されていた。そしてここでも主と手袋は西を向いてる。ますます「西」の持つ意味を知りたくなる。ちなみに遺伝子調査の結果、西の主は東の主の甥であることが分かっている。
四方の壁にあけられた穴からは、
リャマの骨や貝、木綿や竹の繊維状のものが発見された。しかし黄金製品はない。東の墓では、あれだけ黄金が出てきたのに・・・こんな不思議な形とその内容は、他の文化の墓では見られないだろう。
シカンの黄金は金・銀・銅の合金で、この場合銅の含有率が高いと腐食が激しい。この主の冠の一部はきれいに残っていた (=金の含有率が高い) が、ほとんどの部分は相当腐食していたそうだ。
魚や波がモチーフのシカンの絵。
いかに海との接点が多かったか、想像に難くない。
シカン王の想像図。
発掘された壷の模様のつけ方。スタンプだったらしい。
Sala TBS(TBSホール)
「Sala TBS (TBSホール)」と付けられた黄金品の展示室。まあ シカン発掘のスポンサーなんだから、これくらいはしてもらわないとねぇ?
御輿の復元モデル。担ぐ部分には、猫科の動物の飾りがついている。
発掘現場の様子。苦労の様子が垣間見れる。
発掘中の島田泉氏。
スポンディルス貝など、黄金以外の出土品。
貝って何百年経っても色あせないで丈夫。
黄金の装飾品。
セニョール・シカンの頭部復元図。なかなかの男前だったとお見受けしました。
セニョール・シカンの頭部復元図。なかなかの男前だったとお見受けしました。
東の墓で発見された仮面。コウモリを模ったと思われる飾りがついてる。 高さ約100cm、迫力!
赤い色は高貴な人を表す色。そして吊り上った目は、シカンの特徴。文字のない文化だけに、なぜこのような埋葬方法なのか未だに解明されてない。生贄も女性がほとんどだったらしいが、妻たちか?巫女たちか?もっと掘ればもっと何かでてきそうなワカ・ロロ周辺。興味の尽きない遺跡です。