リマ北部のチャンカイ谷に、プエブロコスタ(海岸村)と呼ばれるワッケーロ(盗掘者)の村がある。正確な場所を私は知らない。ただその村も訪問した家もどこもかしこも砂だらけで、村のすぐ先には茫洋とした砂漠が広がっていたのをよく覚えている。
村人はチャンカイ谷に点在する未発掘の墓を見つけては戦利品を持ち帰えり、それらを国内外のコレクターに売ったり、密売ルートに流すことで生活の糧を得ていた。
そんなワッケーロのひとり、A. P.の家には、家の中には古びた織物や土器が無造作に置かれていた。どれもチャンカイ文化の遺物だ。父の代からのワッケーロ一家で、部屋の隅にはチャンカイの墓地から掘り出した土器の欠片や出土品を入れたビニール袋が積まれている。貴重な商売道具だというのに雑な扱い。ペルーらしい光景だ。
昔は状態のいいもの、簡単な修復で済むものがたくさん出たが、ほぼ掘り尽くしてしまった今となっては一級品を見つけるのは至難の業だ。しかし食っていくためには客が喜ぶ品が必要。だから彼らは“修復”に精を出す。
修復素材は砂漠にあった。ぼろぼろで修復不可能な状態の織物を器用にほどき、紡ぎなおした糸を使うのだ。チャンカイ時代のオリジナルの糸だけでは当然足りないため、新しい糸を何某かの調味料を加えた水で煮込んで、墓地特有のすえた臭いを付着させる。この臭いが本物以上に本物らしくみせるカギだという。
なんとも雑な作業に思えるが彼らの修復技術は想像以上に高く、考古学者でもほとんど見分けがつかないらしい。彼らの“作品”の中には、ペルー文化省のお墨付きを得たものまであるそうだ。
ペルーの考古学遺物の国外持ち出しは禁止されており、見つかれば逮捕されるが、2004年7月22日に国家文化財一般法(LEY Nº 28296)が公布される以前は、どんなに貴重な土器や織物でも自由に持ち出すことができた。つい20年ほど前まで国家の宝が外国に流出しまくっていたのだ。残念なことだが後進国にはよくある話だし、ペルー国内にあってもその価値を知らずに破損させたり、紛失したりする可能性はあるのだから、どっちがいいかは分からないけどね。
この村を訪れたのは12~13年前だが、その当時でもまだコレクターが買いに来ると言っていた。ということは、文化財一般法の公布後も何かしらの抜け穴があるということか。
東京大学名誉教授の大貫良夫先生によると、『ペルーの文化庁はレプリカ作りとその販売と輸出には好意的』らしい。だからA. P.一家が「これは精巧な贋作だ」と言ったならば、彼らの商売はまだまだ持続可能ということになる。コレクターの所有欲には底がなく、需要があるから供給がある。こうして国内外に贋作や捏造品が出回り続ける。
盗掘者と聞くと文化を破壊するならず者といったイメージだが、こうして彼らと触れ合ってみるとただの一般人であることに驚き、戸惑い、モヤモヤする。考古学ファンとしては彼らの行為を正当化することなどできないが、厳しい生活環境の中でただ自分たちにできることを生業にしているだけと思っている彼らを目の前にすると、何を言っていいのか分からない。「盗掘は違法だから、もっと豊かな土地に移り住んで真っ当な仕事をしろ」とでも?そんな正論が通るなら、この国の犯罪なんてとうになくなっているさ。
海岸を見下ろす砂漠に連れて行ってもらった。いわば彼らの“職場”だ。あちこちに割れた土器や布片、人骨が転がっていた。私たちのような部外者を案内してくれたということは、ここいらはもうあらかた掘り尽くしたのだろう。そう思うとかえって安心して歩くことができた。
「ここに“落ちているもの”は持ってっていいよ」との言葉に、目についたものをいくつかリマに持ち帰った。チャンカイならではのざらとした白い地肌に、薄墨で彩色した素朴な模様が美しい。もちろん「これも盗掘になるのか?」と一瞬躊躇はした。でも“落ちていた”のだからいいのだろう。ペルーはそういう国なのだ。
先にも記したが、この体験は12~13年前のことだ。A. P.一家がその後どうしているか、まだあの村に住んでいるかは、私は知らない。でもきっとどこにいても、ひょうひょうと生き抜くのだろう。ペルー人は驚くほど逞しく、彼らの生きざまから学ぶことは本当に多い。
最後に、貴重な体験をさせてくれた写真家の義井豊氏に感謝。義井氏とA. P.一家の物語は、同氏の写真集「乱反射する風景」に記されている。リマ在住で興味のある方は、お貸しするので連絡ください。