100年の歴史を持つカクテル「ピスコサワー」

毎年2月の第1土曜日は、ペルーの国民的カクテル「ピスコサワー」の日。このカクテルがペルー人に愛される理由や記念日が生まれた経緯について、ペルー貿易観光促進庁(Promperú)が次のように紹介しています。

2021年、カクテルの世界的な業界専門誌「Drinks International」が、世界で最も売れているクラシックカクテル50選を掲載しました。全世界の最高級レストランやホテル、バーなどで好んでオーダーされるカクテルが並ぶこのリストには、私たちのピスコサワーも加わりペルーの名声を世に表しています。

これにより、ピスコサワーとは私たちの蒸留酒のアンバサダーであることがまたしても証明されたのです。その比類なき味わいや香り、個性のおかげで、最高級レストランのメニューでも、また世界のあちこちに移住したペルー人の家庭においても、ペルー人らしさを表現し、私たちを象徴するのがピスコサワーなのです。

そんな気高いカクテルには、間違いなくそれに見合ったイベントが行われるべきでしょう。ペルー人が「ピスコサワーの日」として毎年2月の第1土曜日を祝うのはこのためです。ピスコサワーはまた、2007年からペルーの国家文化遺産にも指定されています。

ピスコサワーの起源

ペルー文化省のセサル・コロマ研究員によると、皆に称賛されるこの国民的カクテルは20世紀初頭(おそらく1920年頃)、リマセントロの旧ボサ通り847番地(現在のラ・ウニオン通り第8ブロック)にあったモーリス・バーのオーナーで移民のビクトル・V・モーリスにより創作されたそうです。

ピスコサワーに関する最初の記述は、1927年に出版されたシプリアーノ・Aの著書「副王たちの都、リマ」の中にありました。同書では、当時「純粋な蒸留酒を使った甘美なカクテル『ピスコサワー』と『ウィスキーサワー』で評判」になっていたモーリス・バーについて言及されています。

一方、ピスコサワーの由来には異なる説もあります。S・E・レデスマが編集し1903年に出版された「クリオージャ料理マニュアル」という題名の小雑誌には、単に“カクテル”とだけ書かれたパンチのレシピが載っていますが、この調合が現在私たちの知るピスコサワーと非常によく似ているのです。

ピスコサワーはモーリス・バーを発端に、ホテル・マウリーやホテル・ボリーバル、カントリークラブといったリマの主要なホテルへと広まり、その過程で洗練され今日のレシピの基礎が築かれました。このカクテルはそれ以来、ジョン・ウェインやオーソン・ウェルズ、ウォルト・ディズニー、クラーク・ゲイブル、エヴァ・ガードナーのような有名人の舌をうならせてきたのです。

ピスコ研究家のギジェルモ・トロ・リラによると、ピスコサワーを主要ホテルに広めたうちの一人は、ビクトル・V・モーリスに師事したイカ州チンチャ出身のバーテンダー、マリオ・ブリジェットだといいます。1929年にモーリス・バーが店を閉じた後、マリオはホテル・マウリーにレシピを持ち込み、そこで働き続けました。このことから、トロ・リラはマリオをピスコサワーの共同開発者と位置付けています。

100年以上の歴史を持つピスコサワーは、ペルー人のみならず世界中の人々の舌をうならせ、人気を獲得し続けています。今週の土曜日(2月5日)はピスコサワーを片手に、そしてペルー人の誇りを胸にお祝いしましょう。さあ乾杯!

(ソース: ペルー貿易観光促進庁/Promperú)