リマからチクラヨを経由して、チャチャポヤスへ。宿で部屋を確保し、荷物を置き、旅行代理店Bに赴く。あれ・・・?みんなニコニコしてるけど、なんか目が笑ってないぞ?勘違いかな。 ま、いっか。
本日のガイドは、チャチャポヤス生まれの若いお兄ちゃん、ロナル。彼は高校卒業後18歳で軍に入隊、すぐさま前線へと派遣された。鬱蒼としたジャングルの奥地で、テロリスト集団(麻薬関係)と応戦する日々。長きに亘る死闘の末、彼を除くグループ全員が死亡したという。かろうじて一命を取り留めたロナルだが、彼自身も大けがを負っていた。
軍の救出部隊も来ぬまま、森の中で全身を毒虫に刺されながら生死をさまよう。そんな彼を発見し、助けてくれたのが地元先住民の人々だったそうだ。そこで3ヶ月暮らし、奇跡的に回復を遂げた彼はその後除隊、(ちなみに軍からは何の報償もなかったらしい)大学に行き、ガイドの勉強をして今に至ると言う。
「ボクの身体はその時の後遺症もあってもうボロボロなんです。でも今は楽しいですよ。」こういうことをさらりと言っちゃえるのがペルー人。なんだかいつも「やられた」という気持ちになる。
1日目は『Macro/マクロ遺跡』と『Kuelap/クエラップ遺跡』の予定だった。でも今日はクエラップを訪れる人が多いから、日をずらしたほうがいいという。そこで向かったのが、『Pueblo de los Muertos/死者の村』と『Karajia/カラヒア』だ。
『死者の村』というからお墓だけかと思っていたが、住居跡も多く残されていた。その名の通り、ここに辿りつくまでに自分が死んでしまいそうな、それほど辛い道のりだった。ガイドなしで無断で入りこまないよう、ここへの山道には何ヶ所も門が造られていた。それでも鍵を壊し、門を乗り越え、入ってくる奴がいるという。
壁にも落書きがいっぱいだった。心ない観光客によって、年々破壊されていく死者の村。「ペルー人が書くんです。ヨーロッパの人たちは、こんなことしません」と残念そうなロナル。こういう話を聞くたびに、教育の重要性をひしひしと感じる。詳しいことはまた旅行ガイドに書くとして、Facebookにもあげた写真をご紹介。
断崖絶壁に居住地や墓を築き、そこに暮らしたチャチャポヤスの人々。ロナル曰く、「彼らは決して好戦的な人々ではなく、自分たちの身を守るためにこうした崖に暮らし、各地と交易をして暮らしていた」という。しかし墓ならまだしも、住宅をこんな崖に造っちゃうってのはどういう神経だろう?家から飛び出したら数百mもの奈落の底に真っ逆さま!な暮らし。とても考えられない。少なくとも、「高所恐怖症」や「閉所恐怖症」の遺伝子はなかったんだろうなぁ。
壊された石棺に納められていた遺骨が散乱していたが、どれも真っ白で驚くほど骨太だった。さぞや健脚な方々であったろうと拝察する。壊れた住居跡の隅には、カマドの跡がいくつも残っていた。狩で得た獲物や谷底の畑で栽培した芋やトウモロコシを、ここで煮炊きしたのだろう。
自分では考えられない、到底理解できない生活形態。でもそれが最善の策だと考えた人たちが、確かにここにいたのだ。何を想い、何を求めてここに暮らしたのだろう。そんな答えのない問に想いを巡らせるのはとても楽しい。
死者の村、すごい迫力ですね。
辿り着いて、なお無事に帰ってこられたkeikoさんにも感動しました!
命綱はつけてますよね???
いえ、命綱どころか、「行く?」って軽い感じで誘われて行きました。「人が落ちたら100%死ぬ」ということは想定していないようです。さすがペルー。日本じゃ味わえないスリルがいつもおそばに♪って感じですね(笑)