6月21日(火)、メルマガ「地球はとっても丸い」に「生きるための決断とは」が掲載されました!
あるタクシー運転手の小さな疑問が、私の中に何か消化できない異物のようなものを残しました。このもやもやとした気持ちを言葉にしたくて、実はちょっとだけ人に話したのだけど、その人はそんな話は聞きたくなかったのか、会話が続かなくて・・・
そのもやもやを解消できないでいる時に、今回のお題を頂戴した訳です。
原稿を執筆中、「今回のことがきっかけで、海外移住した人はいないのか?」と気になり、あれこれ調べてみました。その中で、「関西への転職を希望するエンジニアが増えている」という記事がありました。「疎開転職」というのだそうですね。もう少しいいネーミングはないのかと思ったりしましたが・・・
また母子家庭の疎開情報サイトも見つけました。見知らぬ土地に引っ越して、生活していけるだろうかと不安を抱える人たちのために、県営住宅や公務員社宅を解放している自治体や民間情報を提供。また短期間でも疎開して、少しでも精神的ストレスから解放されようという企画も。同じような想いを持つ人同士で情報交換できるのは、心強いことです。
しかし、海外移住という選択をする人は多くありません。
金銭的な理由が第一。そして言葉や文化、習慣などへの不安。子供の教育をどうするか。仕事は?ビザは?政府の保証や後押しなしに、つてもないのにどうやって暮らしていくのか?そう考えると「無理」ってなってしまうのも当然ですよね・・・。
昔、日本人は裸一貫で海外に出ました。インターネットはおろかまともな通信手段もなく、激しい人種差別と搾取の中で、血を吐くような努力をして生きてきました。そして今の地位を築いたのです。「貧乏人は誰もいない。日本人なら必ず成功する」と言われるほどに。
「そりゃ昔はそうだったかもしれないけど、今は無理だよ」
「昔と今は全然違うわ」
「移民した人たちって、貧しかったからでしょ?」
「昔は仕方がなかったのよ」
確かに。昔は移民という決断をしなければ生きる術がなかったのだから。
じゃあ・・・今は?
そりゃ覚悟の問題じゃないかな。いわゆる「背水の陣」…いやもっとシビアな。帰る場所がない、というようなね。
農家の次男坊以下。貧農の家の女に産まれついて、凶作がきたら…国を出るか、売られる以外はなかったのだから。
それは華僑も同じ。ただ彼らの方が半端ない数だったからこちらは「万骨枯れて一将成る」という…さらに過酷だったという訳。
そこまでの覚悟は要らない良い時代になった、と言えるかもしれないけど、居心地よすぎてそこから敢えて踏み出す気概がはなっから無い人がふえてるのかな。
ただまぁ、やたら海外に出ればいいってもんじゃない。
鎖国という実に不思議な制度の下でこそ、後に欧米人が驚嘆した「日本人の美質」が育まれたということを考えてみてもね。
それが近代化と共に損なわれていったのは、致し方ないとは言え皮肉なものですね。
私の友人は 沖縄に移住しました 今度の地震(原発)がきっかけになったことも理由ですね。 昔の日本人のがんばりはすごかったと思いますよ。 日秘会館見ると ほんとそうおもいますね。
そうだよね。覚悟。掲示板の書き込みを見ていると、「どうしたらいいでしょう」「私もいい方法があったら知りたいです」という他人任せのコメントが多い。本当に「海外に出るしかない」と思ってるなら、自分で調べて行動するしかないのにって思った。それと(これは別サイトのだけど)、海外へ出ようとする人を非難する人もすごく多いんだなってびっくりしたよ。まあネット社会のコメントが日本人の総意とは思わないけど・・・。
そっか、そういう人が身近にいるんだね。その友人のこれからの暮らしがよきものでありますよう!そして本当に先達の努力には頭が下がる想いです。忍耐、努力、そしていつか必ずこうなるんだという強い意志、将来への希望。今の日本ではちょっと難しいかもしれないね。
確かに海外に移住するという選択肢もありますね。
でも、そうしたいと言う人の話を聞いたことがないです。
日本へはペルーの人も働きに来てるし、なぜと思うのも当然なのでしょうね。
原発も先がわからないので動きようがないというのも一つなのかもしれません。
いつまでと区切りがあればめどがつけられます。
あまりにも大きな出来事が重なって誰にも答えが見つけられないで右往左往している状態でしょうか。
早くなんとかしたいですね。
長野だとそう心配されている人は少ないのではないでしょうか。義母もいたってのんびり(笑)しているようですし。しかし今もなお放射能が垂れ流しでどうしようもないという状態であることには変わりなく、その地域に暮らす人たちは気が気ではないでしょう。そういう時の選択肢として移住を考えてもなんら不思議ではないと思うのだけど・・・ 少ないんですね。